子育てにおける「褒め方」と「叱り方」は、多くの親御さんが悩むテーマです。最近では「褒めて伸ばす」ことが推奨されていますが、野口整体の視点から観点から見ると、そこには見落としがちな落とし穴があります。
子どもがお皿を投げてしまったという出来事を例に、**「本能的な欲求」と「社会的な善悪」について考えてみたいと思います。
1. 「適当な褒め」が招く信頼の欠如
「上手だね」「すごいね」と、状況を深く見ずに適当な言葉で褒め続けていると、子供は大人の底を見透かし、親を「なめる」ようになってしまいます。
割とありがちなのは、お皿を投げた子供に対して「上手に投げられたね」と、投球フォームだけを褒めることです。褒め方の着眼点(身体操作への注目)自体は面白くても、**「投げてはいけないものを投げた」という事実を叱らなければ、子供にとって「皿を投げることは良いことだ」という誤った教育になってしまいます**。
かといって怒鳴ったり、大人の威圧で子どもを制御すると、子どもは萎縮し、大人の見ていないところで発散(悪さ)するようになります。
2. 教育の自由と「社会の価値観」
モンテッソーリ教育のように、子供の自発性や個性を尊重する教育は非常に素晴らしいものです。しかし、個の尊重に寄り添いすぎるあまり、「何が良くて、何が悪いのか」という境界線が曖昧になってしまうリスクも孕んでいます。
空気が読めない、平成言葉でKYというやつです。
善悪の基準は、個人や時代によって変わる主観的なものですが、一方で**「社会の価値観」にある程度合わせなければ、人はこの世界で生きていくことが困難になります** 。単なるわがままに生きることではなく、自分という生命を宇宙の法則(神)や社会の波と調和させながら、伸びやかに躍動させることだからです 。
3. 叱り方
先述の通り、感情任せに叱ってはいけません。
また、大人の都合の良いように行動させようとしてはいけません。
人間はペットではないのです。
私たちはつい、「なぜ投げたの?」「投げたら割れて危ないでしょ」と理屈を並べたくなります 。
子どもがお皿を投げた際、親が「あっ…」という顔をし、それを見た娘さんが「バツの悪そうな顔」をした。この瞬間こそが見逃すべきではないサインです 。
* **大人の反応を察する:** 子供は言葉で説明される前に、親の表情や空気の変化から「これはやってはいけないことだったんだ」と直感的に理解します 。
* **その後の子供の自律的なフォロー:** 怒られると察した子どもが、「全部食べたよ!」と褒めてもらえそうな話題を振ってきたのは、彼女なりに崩れた場のバランスを修復しようとする知恵の現れです。
野口整体では、ダメなことをした時は**「本人にそれがダメかどうかを決めさせる」**ことが真の躾であると考えます 。
今回の場合褒める事は怒られる空気を察し話題を変えたこと、皿を割ることは悪いことだと分かったこと、です。
叱る事は子どもがあっという反応をしたので悪いことしたと自覚してるために深掘りしてはいけません。
逆に、親が食べてるのに他所を向いていた、まだお腹が空いているのにご飯を食べきってしまったなどと投げてしまった気持ちを代弁することが重要です。
つくばの稽古会や**個人指導**でも、こうした親子間の微細な「気のやり取り」を大切にしています。
子供を「従わせる」のではなく、社会という荒波の中でも自分を失わずに泳いでいける「しなやかな弾力」を、日々のやり取りの中で共に育てていきましょう。
親がリラックスして、深く呼吸していること。
それだけで、子供への「叱り」も「褒め」も、まっすぐ命に届くようになります。
**整体道場 樹楽塾**
主宰 石渡 弘樹