野口整体・身体(神氣體)研究

野口整体・身体操作研究ブログにご訪問いただきありがとうございます。 このブログでは日々、野口整体や武術を学び、皆さんのためになる身体の変化の発見を共有、発信しています。神氣體とはざっくり言うと心の動きが體に表れる事です。身気体や心技体は個人や行動などよりミクロな事柄を表します。総括した意味で神氣體としてます。

日常こそが最大の「鍛錬」

 

「鍛錬」と聞くと、多くの人は「厳しい規律」や「過酷な反復練習」を思い浮かべるかもしれません。しかし、身体の理(ことわり)から見れば、真の鍛錬とはそれとは少し異なる姿をしています。

今回は、メモに基づいた**「鍛錬の本質」と「日常の重要性」**についてお話しします。
優れた「方法」より大切なもの
世の中には星の数ほどトレーニング法や健康法がありますが、どの鍛錬法が他より優れている、といったことはありません。
どれほど権威のある型や技であっても、それが他人から「やらされた鍛錬」であったり、ただ「何回やったか」という回数や「どれほどキツイか」という負荷ばかりを追い求めるものであれば、それは身体にとって本当の意味での力にはなりません。
大切なのは、その動きを通じて自分自身で何を発見し続けるかという点にあります。
「快・不快」が教える身体の要求
鍛錬が自分にとって本当に「必要」なものであるとき、それは**「心地良い(快)」**と感じられるはずです。 野口整体では、身体にとって適切な刺激は「快」であり、過剰であったり不必要なものは「不満」や「飽き(不快)」として現れると考えます。
必要な鍛錬: 身体の奥底にある欲求と一致しているため、行うことが自然であり、むしろ心地よさを伴います。
必要ない鍛錬: 欲求を無視して頭で考えた「正しさ」を押し付けている状態なので、身体は「気持ちが悪い」という信号を出します。
身体が研ぎ澄まされてくると、むしろ**「鍛錬しないと気持ちが悪い」**という感覚が芽生えます。これは、歯を磨かないと気持ちが悪いと感じるのと同じように、身体を整えることが生命の維持に不可欠な習慣(本能)へと昇華された状態です。
結局、日常こそが最大の「鍛錬」
私たちは、道場で特別な動きをすることだけを稽古と思いがちですが、結局のところ日常のすべてが鍛錬です。
歩くこと: どこに重心があるかを意識し、全身を使って歩く。
座ること・立つこと: 重力に対して頭上から吊り下げられている感覚を保つ。
掃除すること: 床の拭き掃除を通じて股関節や肚(はら)を練る。
食べること: 箸の持ち方一つで、余分な力を使わない身体操作を学ぶ。
特別な時間を作るのではなく、無意識に行っている日常動作を「意識的」に見直し、それを再び「無意識」にできるようになるまで繰り返すこと。 この「日常を稽古場に変える」姿勢こそが、弾力のあるしなやかな身体を作る最短の道なのです。
1月後半より開始する個人指導では、皆様がご自身の日常を「最高の鍛錬の場」へと変えていけるよう、一人ひとりの身体の癖(体癖)に合わせた具体的なアドバイスを行ってまいります。
本年も、日々の暮らしの中で共に身体を練り上げていきましょう。
整体道場 樹楽塾 主宰 石渡 弘樹
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たとえるなら: それは、たまに大掃除をするのではなく、毎日少しずつ玄関を掃き清めるようなものです。特別な日の激しい運動よりも、毎日の歩き方や呼吸を整え続けることの方が、生命の根源的な力(全生)をより強く、長く輝かせることができるのです。