不世出の武術家佐川幸義
大東流の佐川先生の事について綴られた書物です。
世間一般のイメージでもありますが、「気」について語ると胡散臭くなるイメージがあります。
ですが、この本に直接書かれている訳ではないですが、武術の「気」はあえて胡散臭くしているのだと感じました。
そして世間一般の武術は武術ではないのだと思いました。
武術は諸説ありますが、人をやっつける術ではなく、武とは生き残るという意味であり
生き残る為の術です。
生き残るために相手を制するので、内容を公開してしまったら武術では無くなります。
それは門下生内でも同じようです。
技を隠し、奥義とすることで、技が凄いと相手に印象付けて本質を隠します。
時代の流れと共に本質を伝えるのに「気」や「合気」という表現になりました。
ですので、「気」や「合気」を言葉通り受け取った人には魔法のような物として思い、当事者以外は胡散臭い物になります。
それも武術としては正解なのだと思います。
本書で言われているのは「合気」は魔法などでは無く、try&errorを繰り返して習得していく物だと言っています。
本書でも○○を鍛えると良いとか「合気」の掛け方のさわりが書いてありますが
それを言葉通り受けるとると本質からかけはなれます。
人間は楽をしたい生き物です。
楽して強くなりたいから、いつの時代も技術や魔法のようなものに逃げてしまいます。
そして何処の流派が良い、悪いと、自分の流派が一番優れていると優劣を付けて自分は強いと思い込みたいのです。
でも、現実は流派等ではなく、悩んで、努力して、壁に当たって悩んで乗り越えた人が強いのです。
こういうとマイナスイメージに聞こえる人も居るかと思いますが、悩む事や壁に当たる事に快感を覚える人も居ます。
快感過ぎて気付かない事もあります。
だから、育ちが厳しい人が強いだけでなく、サラブレッドのような人が強かったり弱かったりするのです。
私はこの書を読んでとても良かったと思います。
というのもこの書を読むまで佐川氏について色々な話がありました。
身内だけにしか掛けないとか
人を超越しているとか
色々な話を当事者含め聞きました。
それらの話が嘘か誠か分かりません。
佐川氏自身、武田氏の事を他の人を教えるのに適当な所や誇張されていた所があったと言っています。
時代的な違いが大きいとも思いますが
この書を読んであまり誇張されるのは良しとしてなかったのではないかと思います。
所々、エゴのようなものも見受けられますが、書を通して大事なのは考え、鍛練する事だと述べてます。
私は自身改めて身を引き締めて鍛練していかなくてはと思いました。